「先生」という呼称に疑問を呈する内容なので、人間としての先生は “かっこ” 付きで(先生)と表記します。
幼稚園や保育園に行きはじめるとすぐに、「先生」という記号の絶対性は(先生)によってゆっくりと刷り込まれていきます。この刷り込みは、『三つ子の魂100まで』というように、死ぬまで消えないことがほとんどです。
最初にまとめてしまいますが、
小学校の(先生)を、「先生」ではなく「○○さん」と呼んでみよう。そうすれば(先生) と 子ども と 親 のそれぞれの関係性は向上する。子どもはフラットな目線で社会を見られるように育つ。
という予測と、その実験記です。
目次
この幼稚園では、みんな肩書きではなく名前で呼び合う
我が子の通う幼稚園では、幼稚園教諭は(先生)ではなく『スタッフ』と位置づけられています。
で、スタッフはどう呼ばれているかというと、子どもたちにはそのまま名前やニックネームで呼ばれています。親には苗字で「○○さん」と呼ばれていることが多いかな。愛をこめて名前やニックネームで呼んでいる人もいます。
反対もしかりで、スタッフが先生を呼ぶ場合も、「○○ちゃんのお母さん」ではなく、「○○ちゃん」と呼んでいることも多いです。苗字ではなく、名前です。
ぼくは体育会系で育ったので、最初はかなりとまどいました。が、郷に入れば郷に従え、すぐにそのフラットな関係性を心地よく感じるようになりました。
幼児教育や小学校教育で強制される「○○先生」という呼びかた
「先生のことは、○○先生って呼んでくださいね!」
これは、入学式での担任の(先生)の言葉です。
「先生」と呼ばせることは(無意識でも)マウンティング
幼児教育や小学校教育において、「先生」という呼称は、やんわりとかつ確実に子どもに強制されています。子どもに対してだけではなく、親に対してもじんわりと強制されていますよね。井戸端会議で「○○先生がね……」と話すママさんたちを見ても、ここに異論がある人はいないはず。
つまり子どもにとって「先生」という呼びかたは自発的なものではなく、大人の都合でそう呼ばされてるんです。(先生)側がうまく教育を管理するためのマウンティングスキルなんです。
おそらく(先生)がたはそんなことはないと反論します。でも、本人ですらマウンティングをけしかけていることに気が付けないほど、このシステムは根が深いということです。
現行の学校制度は明治維新後の教育改革をもとにしているので、たかだか140年程度の歴史 ではありますし、それが確かに有効な時代だったからこそ今の日本の経済発展もありました。
この短期間で通底に至った常識が、じつはとても不自然なことなのではないかと感じることがありました。
おとなになっても解けない、「先生」という記号の呪い
我が家のお話です。
二番目の子が小学校一年生になりました。長男は今まで小学校にはいかない選択をしていたのですが、妹が小学校に行き始めたのに刺激を受け、三年生から楽しそうに通っています。
先日、長男がおたふくかぜになり、学校に電話しようとしたときの話。
(先生)の名前をド忘れしたぼくが長男に確認すると、「佐藤先生だよ(← 仮称)」と教えてくれました。ぼくは「3年の○○の親ですが、佐藤先生いらっしゃいますか?」と小学校に電話をし、息子がおたふくかぜで休むことを伝えます。
というように、特に意識することもなくおこなった一連の行動 なのですが、電話を切った瞬間とてつもない違和感に襲われてしまったのです。
(佐藤先生って、ぼくにとっては “先生” ではないよね?)
もし、佐藤先生のことを「佐藤さん」と呼んだら、向こうはどんな反応を示すだろう……?
もし、佐藤先生のことを「佐藤さん」と呼んだら、ぼくはどんな気持ちになるだろう……?
タブーに触れる妄想と興奮に震えるのです(笑)
呪いを解こう。山田先生(仮)を「山田さん」と呼ぶ実験
幸いにも(?)兄のおたふくかぜが妹に伝染し、もう一度小学校に電話する機会ができました。相手は山田先生(仮)。となると、先ほどのタブーに触れてみようと思うのがぼくの性格です。
でもね、めっちゃ緊張するんですよ。まるで好きな子に電話をかける中学生のように! ただ苗字で呼ぶだけなのに!
さて、電話してみよう!
ケータイを持ち、小学校の番号を表示、通話をプッシュします。
トゥルルル…… ガチャ
事務「はい、○○小学校の事務の△△です」
ぼく「おはようございます。3年1組の□□の親ですけれど、(ドキドキ)……山田さん、いらっしゃいますか?」
事務「山田さん……? ……あっ、山田先生ですね? 少々お待ちください!」
♪~(保留音)
うっわ! たったこれだけなのになにこの緊張感(笑)! そして、事務の○○さん、山田「先生」って言い直した! うっわ!
で、保留音の後に電話をとるのはもちろん山田 “ さん ” 。はたして、本人に対して「山田さん」と呼びかけることは、ぼくに、できるのか? できる……のかぁ? ドキドキ……。
ガチャ
山田先生「はい、お電話変わりました、山田です~」
ぼく「あ、山田さん、おはようございます~」(言えた!)
山田先生「ぇ……、ぁ……、おはようございます!」
ぼく「今日、□□なんですが、おたふくかぜが兄から感染ったので、お休みしますね」
山田先生「ぁ……、はい! わかりました。お大事になさってください~」
……ガチャ
……。
うっわ! なんか、山田先生、うまくカバーリングしたけど、動揺してた(笑)!? ぼく、悪いことしちゃった!?
「先生」という記号の呪いは解けてないようだ
……とまぁこんな感じで、向こうもこっちもなんかギクシャクするんですよ(笑)
で、ぼくがどんな気持ちになったかというと、まず「山田さん」と呼びかける時点で、すごく常識に反したことをしているような、タブーに触れてしまうような感覚 になった。
でも、そこを気合で乗り越えて実際に言葉に出してみる。やはり(先生)側としても学校の枠組みの中で「山田さん」と呼ばれるのは慣れないことなのかな? 少し動揺している空気を感じました。
そして、その動揺を受け取ると、とても悪いことをしてしまったような罪悪感 を覚えました。あとほんの少しだけ、タブーを破った快感 でしょうか(笑)。とにかくとても居心地が悪い! 悪すぎる! ただ山田(先生)を「山田さん」と呼ぶだけなのに!
「先生」という記号の呪いは、おとなになってもまったく解けてないんだなぁ……。
さて、感情的に山田(先生)を「山田さん」と呼ぶのはかなり苦しいことが実験により判明しました。
一方、「山田さん」と呼ぶのが常識になれば、学校という枠組みにおける『子ども・親・(先生)』の三者関係が劇的に良くなるんじゃないか と妄想したので、それも書いておきます。
「山田先生」を「山田さん」と呼ぶことで改善される3つの関係性
今の世の中、こどもが「山田先生」を「山田さん」とでも言おうものなら、あらゆる方面から矯正措置が一気に入ります。わかってます。それはわかってます。
でもね、(先生)のことを、親も子どもも「さん」付けでよんだら、長期スパンで見て日本社会すらうまく回るようになる気がするんですよ。
1.(先生)と子どもの関係
「“先生”と付けないと、おとなを敬う気持ちがなくなる」
「クラスがまとまらなくなる。学級崩壊が……」
「学校の先生は “先生” なんだから、 “先生” と付けるのはあたりまえ」
(先生)側の論理による「先生」という呼称の裏付けはこんなものでしょう。 でも、それ……ほんとうかァ!? と思っちゃうんですよね。
こういうこと書くと、表面だけ読んで「こいつはアンチ学校だ! 何様だ!」といきり立つ人もいます。通底観念に真っ向からぶっこんでる ので、そういう居心地の悪さを感じるのもわかります。
ぼくが今回伝えたいのは、決して「学校なんてダメ!」というわけじゃなくて、『(先生)は「先生」という肩書きなんかなくたって先生になれるのでは?』という期待と挑発 です。というか、強制しなくっても自然と「先生」と呼んでくれる関係がサイコーですよね?
そもそもなんで子どもが「山田先生」と呼ぶかというと、前述のとおり(先生)が「山田先生って呼んでね!」と直接子どもにやんわり強制しているか、親が「山田先生は……」と日常的に言うからです。つまりは外的要因です。
子どもの場合はまだ「先生」と呼ぶ常識がないので、(先生)と親がそれを伝えなければ、自然と苗字や名前で呼ぶことになるでしょう。呼び捨てがけしからんというのであれば、余計な記号的マウンティングのかからない “さん” 付けがいいのではないでしょうか。
学校教育法に「先生と呼ぶこと」とは書いてないですからね。
前置きが長くなりましたが、「山田先生」を「山田さん」と呼ぶことで(先生)と子どもの間で成されるのは、「先生」という“記号”に左右されないフラットな信頼関係 です。
何度も言いますが、「先生」という呼称が悪いというわけじゃないです。「先生」という記号で増幅されるかもしれない偽りの主従の力学が怖い ということです。「先生」の肩書きに疑問を持ったときの反動がおおきくなってしまうのでは、ということです。(もちろん、「先生」という記号で増幅される良好な人間関係も充分にありえます)
それならばまずは、(先生)と子どものフラットな人間関係からつくっていくために、子どもと子どもの間の「くん付け・さん付け運動」を、(先生)と子どもの間にも適用してみてはどうですか?
どうですか○○小学校の(先生)?
たかが呼びかた、されど呼びかた。子どもにとっても(先生)にとっても、しいては教育界にとってもいい投資効果が見込めると思うんですけどね。投資なので時間はかかるけど。
2.(先生)と親の関係
『家庭と学校の協力』
もはや形骸化してしまった言葉です。協力しているテイをつくるために協力している感もあります。それは、『家庭』と『学校』という言葉に『人間』が入っていないからでしょう。詳しくは後述。
「先生」という言葉の意味合いは、おとなになるとふたつの極端な方向に分かれます。
一方は、本来の「先生」の意味にふさわしい、尊敬の眼差しに根ざした信頼の言葉。お料理や趣味など、自分の興味のあることを成し遂げている人への尊敬があって、自ずとあふれ出てくる呼びかた。
そしてもう一方は、悪しきへりくだりのための、相手をヨイショするための道具としての言葉。「そこをなんとか、センセイのお力でおねがいしますよ~。へっへっへ~」みたいな。本来は自分が責任を取るべきところをセンセイになすりつけるための計算された呼びかた。
さて、あなたにとって学校の「先生」はどちらの意味合いだろう?
答えはわかりませんが、ともかく 家庭と学校の協力関係 を取り戻すために、子どもと子どもの間の「くん付け・さん付け運動」を、(先生)と親の間にも適用してみてはどうですか?
とまぁその前に、学校の先生が任期制のように地域を回ってるの現状の制度では、家庭と学校の協力関係なんて無理です。
家庭も学校も、「人」じゃなくて「システム」ですからね。子どものために協力関係を築くならば、家庭と学校ではなく、親と(先生)が人と人として向き合わないといけない。
そのためにはやっぱり、小学校なら最低でも6年単位の任期が必要だと思う。本当ならば、『昔担任をした子が、今度は親として学校に帰ってきた』くらいのスパンで協力関係が築けたらサイコーです。
そして、親として帰ってきた大人が本心から「先生」と呼ぶことができたのなら、もっとサイコーだと思う。
3.(先生)と(先生)の関係
見逃しがちなのがここです。(先生)と(先生)の関係。
用事があって職員室に立ち寄った際にびっくりしたんですよね。若い先生からベテランの先生まで、みんながみんなお互いに「先生」と呼び合っている。(ちなみに事務担当のかたは「○○さん」と呼ばれていた気がする)
よく考えると、変じゃないですか? 「先生」って、対生徒の関係があって初めての「先生」ですよね?
先ほど申し上げた「そこをなんとかおねがいしますよ、センセイ~」が助長されちゃう気がする。……というのは、考えすぎかもしれない。
ま、ゴタクはともかく、(先生)と(先生)の間に「先生」という呼びかたは不要では。「さん」で必要十分だし、言葉の用いかたとしても適当ではないでしょうか?
というわけで、風通しの良い職員室をつくるために、子どもと子どもの間の「くん付け・さん付け運動」を、(先生)と(先生)の間にも適用してみてはどうですか?
まとめ
以上、ぼくの考える『「先生」という呼び名撤廃論』あるいは『全方向型「さん」付け運動』でした。
無理やりまとめます。
小学校の(先生)を、「先生」ではなく「○○さん」と呼んでみよう。そうすれば(先生) と 子ども と 親 のそれぞれの関係性は向上する。子どもはフラットな目線で社会を見られるように育つ。
書けることを書いたのは良いものの、書きながら、「こりゃ無理だな~」と思ったのも事実 です。だって、「先生」、根付きすぎてるもん。
じゃあどうしようね?
全国一気になんて絶対無理なので、既存の義務教育を完全に超越した『教育特区』なるものを政府主導でつくって、そのなかの運動として『全方向型「さん」付け運動』をしたらいいのではないでしょうか。
ようは、「先生」という言葉を大人が一切発さない環境をつくってみる(笑)
そして小学校1年生から35歳くらいまでモニタリングして、社会への影響力を測ってみると(笑)。30年スパンの社会実験だ!
「先生」という呼び名を子ども時代から排除するだけで、「先生」とかの“記号的なもの”に囚われない、広い視野とフラットな目線をもった人間が育つんじゃないかと本気で思うのだけど。
なんかさ、ほんと、言えないよねこんな妄想。効果測定するにも他の要素を排除するのが困難すぎるし、「は? 何を言ってるんですか?」って言われるのが、目に見えてる。
そう思うあたり、ぼくもまだまだ「先生」の呪いに囚われているのでしょう(笑)
おしまい。
アンチ(先生)を語っているのではなく、「先生」という言葉を再評価して常識を見直すための思索の文章として読んでいただけると幸いです。(← 予防線)


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