あなたも他人事じゃないシングルファザーのワンオペ育児とセックスの呪縛

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こんにちは、ずかんです

子ども三人が目の前にいたとしますよね。

で、その三人に同時に平等に愛情を注ぐことができるのだろうか?

断言します。

そ ん な ん 無 理 。

風呂に入りながら料理をつくると同時に本を読むくらい不可能なことですよ。

「注目して欲しい」という気持ちが強い子どもほど、親の気に障ることを敢えてしてきます。

私ももう予定調和のようにその子に「キエェー!!」となってしまう。キレてしまう。

あぁなんて不毛な悪循環であろうか。キレる私をやめたい。

子どもと親の両者の心を平安に保つには、マンツーマンでの子どもとのデート時間は絶対に必要です

精一杯その子だけと向き合う時間を確保することで、自分も相手も、溜まってしまったガスを抜くことができますから。

問題は、どーやってその時間と環境をつくるのかってこと。

というわけで、

シングルマザー・シングルファザーの子育て互助(と、少しセックス)について考えてみましょう。

子ども一人だけと向き合う時間が確保できない問題

で、どうやってそのマンツーマンの時間と環境をつくるかというと、一般的にシングルファザーで複数の子どもを育てている場合は……不可能と言ってもいい。

幸いにも私の場合はステキな幼稚園の環境があるので、まわりに助けてくれるお母さんたちがたくさんいます。

本当に助かってます。

けれども一般論で言えば、男というのはチンケなプライドを後生大切にする愚かな生きものなんですよね。

苦しくても、手が回っていなくても、なかなか助けてと言い出せない。

ワンオペ育児はマジで孤独

「ワンオペ」という言葉がメディアで取り上げられるようになりましたね。

「ワンオペ」とはご存知「ワンオペレーション」のこと。

外食チェーン店で深夜帯などに一人ですべての業務をこなすブラック業態を示す言葉だったものが、「ワンオペ育児」として子育ての現場に転用されたものです。

ワンオペ育児になってしまう理由はあげればキリがありません。

  • 核家族化
  • 地域のコミュニティの消滅
  • 子育ての個人問題化
  • 配偶者の長時間労働化
  • などなど……

なんとなく「ワンオペ育児」は女性だけが直面する問題と思われてる気がします。

でも、「世のママさんたち、お疲れ様です……」なんて思ってる男性の皆さん、対岸の火事を気取ってる場合じゃありませんよ。

なぜかというと……

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ワンオペ育児はママの問題なんて言ってられません

今後、シングルファザーの人数は劇的に増えます。絶対に増えます。

下記の二つが理由。

  • 三組に一組が離婚している
  • 政府が女性の社会進出を誘導している

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アディーレ法律事務所 厚生労働省「平成22年人口動態統計」より

至極当然の結末なのですが、就労環境の男女差がなくなっていけば育児環境の男女差もなくなっていくわけで、男が子育てにコミットするのも当たり前になっていきますよね?

そんな社会環境の中で離婚をしたらどうなるか?

それは当然、『女性が子どもを育てて、男性は養育費を工面する』という古いステレオタイプは崩壊して行くわけです。

シングルファザーとして「ワンオペ育児」に絡め取られる人が増えていく。

その意味で、私は図らずも最先端を突っ走ってます(´・ω・`)

シングルの子育て互助の幸せなかたちを考えてみる

「ワンオペ育児」はマジでしんどいです。(もちろん喜びも大きいです。感情の振れ幅が大きくなる、というのが正確な表現か)

で、しんどい気持ちをなくし幸せな育児をするにはどうすればいい?

幸せな育児をするためには、性別を超えて互助組織的なものに参加することや、自ら互助の環境をつくっていく必要があります。

本当にお互いが助け合える子育てコミュニティーは、今後の真っ先に解決に向けて取り組んでほしい政治課題です。

まずは現況のシングル子育て互助について、性別の組み合わせで場合分けして考えてみましょうか。

シングルファザーを交えた育児互助組織の必要性から、最終的に「セックスとシングル」という社会問題に言及して尻切れトンボで終わる気がします。

というかそこに落としこみます。

シングルマザー同士の子育て互助

まずはシングルマザー×シングルマザーを考えてみましょう。

特筆すべきは女性のフリー・コミュニケーション能力の高さですよね。

井戸端会議を見ていると、彼女らのコミュニケーション能力は相当高いと言わざるをえません。男はだいたいあれができませんから。

また、先日も札幌で行われていましたが、各地で「ママ・フェスタ」的なイベントやシングルマザーが集う会合が催されています。

ベビーマッサージや子育て教室など、とかくお母さんと子どもが参加するイベントは頻繁に開催されているんですよね。

子育ての現場にいるという当事者意識

シングルマザー同士の子育て互助組織は、イベントの場やフリー・コミュニケーション能力の高さで自然発生的に生まれる場合が多いように思えます。

もちろん言うまでもないですが、子育て現場を取り仕切るものとしての当事者意識の高さもあるでしょう。

母は子育ての主役であると同時に、最終防衛ラインである

という強い覚悟を感じます。(ほんと強いと思う)

シングルの子育て互助という面に限定すれば、シングルマザーは性別の強みとしてもイベントの多さとしても、互助体制を構築する機会には恵まれていますよね。

もちろん、性別による雇用格差や給与格差など、別の社会問題は山ほどありますけれど。

シングルファザー同士の子育て互助

ぶっちゃけなにも調べないでこの文章を書いているのですが、まわりを見る限りシングルファザー同士の子育て互助は皆無ですね。

一方で『シングルファザーの母数(←ファザーの母数って変な表現だな)』は増えているか? というところなのですが、これも何もエビデンスを調べていないですけど、実感としては急速に増えている気がします。

シングルファザーの子育て問題は、すでに水面下では進行していますが、今後社会問題として表面化してくるものと予想しています。

自分はもしかしたらその最先端にいるのかもしれません。

地蔵になる男

残念ながら男性はフリー・コミュニケーション能力が残念なほど低いです。

仕事という枠の内側でのコミュニケーションであれば力が発揮されるかもしれないけれど、フリー・コミュニケーションとなれば男はもう地蔵状態です

ママ友の会に参加したパパ同士のダンマリ具合はなかなかに味わい深いものがありますよねw

なんとも微笑ましい光景ですが、実際シングルファザーの立場になると、まったく笑えません。

こっそり隠れる男

シングルファザーの母数が増えている気がすると言っても、実際まわりを見渡しても、いないんですよね。

でも、本当はただ隠れているだけなのかもしれないじゃないですか。

でも、いたとしても、先に述べたように男同士でコミュニケーションをとろうとしないのが実情なんですよ。

きっと、恥ずかしくてこっそり隠れているのです。

声を出さない男

加えて、「私はシングルファザーですよ」という声をあげないことも問題ですね。

男はちっぽけなプライドを後生大事に守ろうとする生きものですから…。

まずはここの意識転換が必要!

「私はシングルファザーですよ」と声をあげることで、何かおもしろいことが起きるのではないかな、という気はします。

シングルマザーとシングルファザー間の子育て互助

シングルマザー×シングルファザーの子育て互助は成立しうるのか?

幸いにも私の場合はこれが可能になる環境が整っているんですよね。

「子ども預かるよ」とも「子ども預かって」とも言える共同体的な空気があると(もちろん礼儀はわきまえなきゃだけど)。

うーん…、一般的な社会で見ると、シングルマザーとシングルファザー間の子育て互助というものは、はっきり言って皆無なのではないかという気がしています。

でも、常識的に考えてみてください。

男には男の、女には女のできることがあるわけで、こと子育てに限って言えばシングルマザー×シングルファザーの互助は至極真っ当な形であるといえませんか?

では、なぜそれが素直に実現されないの?

シングルマザー×シングルファザーの互助はなぜ成立しない?

なんとなく議論の本質に近づいてきました。

なぜシングルマザーとシングルファザー間の子育て互助が一般的に成立しにくいか?

あくまで私見ですが、「単なる子育て互助で収まらない場合が多くなってしまう」のが理由でしょう。

一般的に(あくまで一般的に)離婚は「人間関係がうまくいかなかった」ために実行されたわけであって、これに対する恐怖感やなんとなく面倒な気持ち、トラウマはなかなか振りきれるものではありません。

でも、人間が健全に人間であるには、やはり性的なものは必要なんですよね(ブログ内リンク丨人間の三大欲求を健全に満たすこと。とくに性欲とか

人間の三大欲求を健全に満たすこと。とくに性欲とか
こんにちは、ずかんです 三大欲求が健全に満たされれば人間はこじれない そんな話をしようと思います。 え? 私ですか……

子育てから切り離された場所で、結婚から切り離された場所で、やはりセックスは必要なんですよ。

これが「めんどくささ」やトラウマを助長するんですよね。

「結婚とセックスがセットになっている」問題

あらためて何が問題なのか一言で述べますね。

「社会通念として、結婚とセックスがセットになっている」ということです。

で、慎み深さが評価される日本では、セックスがタブーなんですよね。

「お付き合いしている」「婚姻関係にある」といった建前が必要になる。

切り離せない。

シングルマザー×シングルファザーの単なる子育て互助のはずなのに、セックスや結婚といった「社会的にややこしいもの」が入り込んできてしまう。

ここで明確にしておきたいのは、「結婚制度が問題なのだ」と断言したいわけではなく、「結婚制度が当てはまらない場合もあるよね」というファジーな態度、余白があってもいいのではないかということです。

ダイバーシティですね。

「セックスとシングル」は未だ日の目を見ぬ『社会問題』

現実的にシングルの性の部分を刹那的に埋めているのは、「ひとり」とか「風俗産業」とか「マッチングサイト」といったものではないかと思います。

だが、残念ながらそれらで「肌と心のふれあい」の恒常的満足は得られないのが実際のところでしょう。

「結婚とセックスがセットになっている」という日本における一般通念が、「肌と心のふれあい」にブロックをかけてしまっているということですね。

で、この通念は、民法(法律)によって強い抑圧を受けています。

つまり、法律で解決できるかもしれない社会的なものなんです。

「セックスとシングル」は、未だ日の目を見ぬ『社会問題』だと思います。

まとめ 個人と社会の両輪で

長くなりました。

今後、シングルファザーとして子育てをするのは何も特別ではないことになっていくと思っています。

実際自分もそうですし。

幸せな子育てのためにお互いに助け合える場をつくれたらいいな、と思っているのですが、考えれば考えるほど「婚姻制度」だったり「社会通念」だったりというものがブロックをかけてくるわけで、そのあたりをゆるやかに解決していけたらいいですね。

そして、育児をお互いに助け合える場をどうつくっていくか。

それは政府主導でトップダウンでつくられるものではなく、あくまで個人間の対話からはじめて調整していくような、ゆるやかなつくり方からはじめていくものだとは思います。

ただし一方では、社会問題と捉えて制度をつくっていくことも、抜本的解決には必要なことです。全てを個人に還元するには、あまりにも社会の情勢が厳しいですからね。