【書評】毒親を知るカウンセリング本『母が重くてたまらない|信田さよ子』

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hahagaomokutetamaranai

ぼくはまわりの助けをたくさん受けつつ男手ひとつで三人の子どもを育てていまして。

となると、必然的にまわりには「母」という属性のひとが増えてくるんですね。で、タイトルのように「母が重くてたまらない」と考えているひとは、決して少数派ではないと実感してる。

過去、ぼくはこんなツイートをしています。

ほんとに今の世の中、女性は大変だと思う。

なんとも表現しがたい感情なのですが、自分が子どもを生んでないからこそ生んでくれた相手に感謝できるし、客観的に一歩引いて子どもと向き合うことができている気がします。

子育てをしている自分を、もう一人の自分が上から客観的に評価しながら、子育てをしている感じです。

だからぼくは、子どもに対して「あなたのためを思って」とか言わないし思わないし、自分と子どもを同一化したりもしない。

母娘関係で漠然と苦しんでいる人は、まず自分の生い立ちや今置かれている立場を客観的に見ることがはじめの一歩だと思う。人によっては読んでてかなり苦しいかもだけど、大きな助けになってくれる書籍です。

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自らを客観視できれば、フッと肩の力が抜ける

母娘関係のこじれはグロテスクと言ってもいいくらい外から見ると恐ろしい。

ただただ原因もわからず苦しんでいるのって、ほんとうにツラいよね……。自分の生い立ちや置かれている立場を客観的に見ることだけでちょっと肩の力が抜けるんじゃないかなぁ。

で、状況を客観的に見る技術=自分自身をある意味「他人」として上空から見る視点というのは、生物学的に女性よりも男性の方が得意なんじゃないかと感じています。ぼくはこの点について、自分自身がすごく優れていると思ってます。

というわけで、「男のお前になにがわかるんじゃ!」という声は置いといて、自分をある意味他人化するくらい客観的に見るために、この本をお読みください。

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き|信田さよ子

母娘関係がこじれやすいのは昔から?

白雪姫の童話で継母が義娘への嫉妬から鏡に問いかける言葉があります。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは、だ~れ?」

shirayukihime

じつはこの継母と義娘という設定、もともとは実の母娘という設定だったということはよーく知られています。それほど母は娘に嫉妬する生きもので、本来的に母娘関係はこじれやすいのだということがわかります。

母娘関係は禁忌的なものだ、隠されるべきものだ。そうして白雪姫の人物設定は書き換えられたのでしょう。

グロテスクな母の言葉、抜粋

この本に出てくる母から娘への言葉を抜粋していきます。戦慄します。

「墓守は頼んだよ」

「孫がハーフなんて、親戚に顔向けができないじゃないの!」

「ママはね、この日を待ってたの。すべてこの日のために我慢してきたのよ」

「あの子のことは誰よりも私が知ってますから」

「これこれ、ね、ほら設計図にはエミコの部屋もあるのよ」

「先生、娘はうつじゃないでしょうか」

「どうして娘の部屋なのにノックが必要なんでしょうか」

「娘をカウンセリングに来させるようにするにはどうしたらいいでしょうか」

「ずっと我慢してきたのよ」

「ほんとにいつも自分さえ我慢すればと思ってたのよ」

「み~んな、家族のため、あなたのためだったのよ」

「私が我慢しなかったら、どうなっていたと思うの」

「今になってあんたからそんなことを言われるなんて、思ってもみなかった」

「どれだけ私が苦しい思いをしてきたか、わかってるの」

「お前は私の分身」

「あなたのことは誰よりもよく知ってるんだから」

「あなたの幸せがママの幸せ」

母性にセットされた「娘との同一化」と「自己犠牲的態度」

上記のセリフでもわかるように、母の基本的なマウンティングスキルは「娘との同一化」「自己犠牲的態度」です。無意識だけど。

母性の特徴の一つに、自分を虚しくして子どものために尽くすこと、つまり自己犠牲が挙げられる。(中略)「あなたのためなのよ」「ママはどうでもいいの、あなたさえよければ」「あなたの幸せがママの幸せなの」となる。(中略)自己犠牲的態度とは、自分を後回しにすること、自分を虚しくすることで苦痛に耐えることである。(p120)

「母は皆、我が子を愛するものだ」という世論的に圧倒的に正義の態度を持って、娘の「私は母を愛さなければならない」という態度を引き出す。

娘は、「母を愛せないのは私がおかしいんだ」となってしまう。

恐ろしくて、倒錯していて、とてもグロテスクだと思う。

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母娘の関係、6つの類型

客観視することで少し肩の力が抜けると書きました。その一助として、著者は母娘の関係を6つの類型に整理してくれています。

1.独裁者としての母 – 従者としての娘

2.殉教者としての母 – 永遠の罪悪感にさいなまれる娘

3.同志としての母 – 絆から離脱不能な娘

4.騎手としての母 – 代理走者としての娘

5.嫉妬する母 – 芽を摘まれる娘

6.スポンサーとしての母 – 自立を奪われる娘

ざっくり要約しますが、詳しくは本を読んでみてください。

1.独裁者としての母 – 従者としての娘

強権を振りかざしたり暴力で威嚇するのではなく、反対に弱々しく力のない母を(意識的・無意識的にかかわらず)演じることで、プチ帝王=独裁者にのぼりつめる。

2.殉教者としての母 – 永遠の罪悪感にさいなまれる娘

「あなたのために私はずっと我慢してきたのだ」と自らが被害者であることを訴える母。「私は頼んでなんかない」なんて憤る余地もなく、母の人生を潰したという罪悪感におそわれ続ける。

3.同志としての母 – 絆から離脱不能な娘

人生のレールを設定する指揮官からはじまり、娘と夢を共有した伴走者へ移行し、娘と自分を同一化する母。「一緒に頑張ったんだから当たり前!」と言って大学の卒業式や企業の面接・入社式にまで同席。

4.騎手としての母 – 代理走者としての娘

3.の同志としての母がさらに巧妙かつ狡猾になったパターン。娘の人生の喜びをかすめ取る。自身の隠蔽された無自覚な欲望を、娘を代理走者として満たそうとする。

5.嫉妬する母 – 芽を摘まれる娘

前述の白雪姫パターン。「かわいいわね」と他所の人に褒められた娘を、「人の言葉を信じちゃいけないよ。調子にのるな」とこき下ろす。娘に嫉妬し、負けを認めない。負けを認めたくないので、自覚しない。

6.スポンサーとしての母 – 自立を奪われる娘

金銭でつなぎとめる母。「ごちそうするから遊びにいらっしゃい」「お金は出してあげるから一緒に旅行に行きましょう」。娘が自分の貧しさを母のせいにするという反転した支配か、母が金銭によって子どもの自由を先取りして自由を奪うか。

ところで「父親」はどこにいった?

筆者は最後に父親という存在にも少し触れています。ぼくは男なので、ここに触れない訳にはいかない。

空虚な中心としての父

現代の日本において、「父」という存在は基本的に家庭にはいません。筆者はそれを「空虚な中心としての父」と表現しているのですが、まさにそのとおりだと思います。

社会的システムとして、父親は家族の中心とされているけれど、実際は物理的にも精神的にも「父親」は中心にはいない。それが今の日本です。

父の不在、4つの類型

さて、自分はどれなのか? と、おそるおそる読み進める。

1.母に対する迫害者・加害者

2.母のバイプレーヤー

3.傍観者

4.逃亡者

以下、概要。

1.母に対する迫害者・加害者

苦しめる存在。DVや浮気で母を苦しめる。母の自己犠牲的態度と娘との同一化を強化する。

2.母のバイプレーヤー

ドラマの脇役として傍らで意味もなく動きまわる存在。定年退職後に会社から家庭へとソフトランディング。世間の評価は良いが、要は無関心。

3.傍観者

見て見ぬふりをしたり、ぼーっと眺めている存在。家庭にいるかいないかわからないし、いてもいなくてもいい。既に家庭から除外されている存在。

4.逃亡者

離婚したり、蒸発したり、あまり帰ってこなかったりする父。家族の問題が起きると別室に消えたり、気配を消したりする。

理解されることを断念してみる

ぼくたちは小さいときから「問題から目をそらしてはいけない」「諦めずに取り組め」「逃げないで立ち向かえ」という教育を無意識ながら叩きこまれて育ってきています。その観念に苦しんで、逃げることができず、おかしくなる。

そうなるくらいなら、その観念を捨てちゃっていい。というか、捨て去るべきだと思う。

目をそらしてみる
諦めてみる
逃げてみる

そうやって肩の力が抜けて初めて、どうすればいいかわかることってたくさんある。

「親子なんだから、しっかりコミュニケーションをとって、話し合って解決しましょう」なんて、不可能だとぼくは考えてます。

だって、他人だもん。親子といえど、他人なんです。だって、別人格でしょ?

これは別に悲しむことでもなんでもなくて、「母と娘は他人なんだ」と理解して初めて、対等なコミュニケーションのステージに立てるものだと思う。

境界をお互いに意識して、他人であることをしっかりと自覚して、そこで初めてコミュニケーションが可能になるんです。話し合いができるんです。

母娘の鎖ってのはもう恐ろしいほど強固でトゲトゲで。その鎖を引きちぎるためには、

目をそらしてみるべきだし、
諦めてみるべきだし、
逃げてみるべきです。

そんなことを考えてもいいんだなって、認識することがはじめの一歩。この本はその一助になると思います。

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き|信田さよ子

この本には第二弾があります。
さよなら、おかあさん 墓守娘が決断する時|信田さよ子

こちらも読了しているので、次回紹介します。

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